ベランダでは、西王母の蕾がふくらんでいました。この日はお茶のお稽古の日。よく間に合ってくれた、と嬉しかった。西王母と書いて、せいおうぼ、と読みます。うっすらとしたピンク色の椿。炉の季節になると、お茶室ではよく見かける椿です。その名前をはじめて知ったのも、お茶室でした。
「お花は?」
「西王母でございます」
正客のおたずねに亭主がお答えする、その瞬間がとりわけ好きです。何年もお稽古に通っていれば、この時期に、先生のお庭に咲く椿といえば、西王母だとわかってはいても、おたずねする。
「お花は?」
「西王母でございます」
繰り返し、繰り返し、おたずねする。茶室において、花は大切な存在。たとえ、咲いている西王母は同じ名前でも、昨年とは異なった西王母の花。茶室の花こそ、一期一会の出会いだと言えるのかもしれません。わたしは、この日に間に合ってくれた、西王母に、礼を尽くしたい、とおもいます。
蕾である時は長くはありません。そして、その蕾の状態を保って、朝のベランダでわたしを待っていてくれたことの有り難さ。わたしが、喜ぶことを知っていて、待っていてくれたのか。
よく見ると、蕾のそばでもう一輪、くっつくようにしてピンク色の蕾が見えます。本来ならば、一輪が、美しいとされている椿。それでも、もう一輪の蕾を、わたしは切り取ることはできません。花は野にあるように、とは利休居士もおっしゃる言葉です。一輪の蕾を生かすために、もう一輪の蕾を切ることは、わたしのお茶室の場合は、しないでいたいと決めました。丹波焼の「旅枕」に、格好よくはないけれど、微笑ましさが、少し自慢です。
*旧暦と暮らしのMail Magazine 「カランドリエ」vol.117「晩冬」大寒の号/令和三年十二月十八日 2022.01.20号より転載